あの東日本大震災が発生するまでは、

さんまやギンザケなど、食卓を彩る魚の多くが宮城県産でした。

しかし「塩釜」「石巻」「気仙沼」など、

古くから日本でもよく知られた名高い漁港を持つ宮城は、

2011年東日本大震災によって

壊滅的な被害を受けることになります。

そこで宮城県をあげての漁業復興を目指し、

その一環として宮城の水産物を

県内外にアピールする日として

毎月第3水曜日「みやぎ水産の日」が制定されました。

この記事ではこの「みやぎ水産の日」制定の背景や、

様々な取り組みについてご紹介させていただきます。

 

なぜ「ミヤギ水産の日」が制定されたのか?

きっかけは東日本大震災でした。

 

かつては北海道に次ぐ

全国第2位の漁獲量を誇った宮城県。

「宮城県産」「三陸産」などのラベルは、

美味しい魚の目印ともいえる一種

ブランドマークのようなものでした。

全国トップクラスの漁獲高を誇る

さんまやイカ、アワビ、ホタテ、ギンザケ(みやぎサーモン)など、

食卓を彩る魚の多くが

宮城の豊かな漁場から運ばれてきたものです。

しかし2011年に発生した東日本大震災による

放射線汚染などによって、宮城の漁業は

甚大な被害を受けました。

しかし漁業関係者を中心とした必死の復興作業により、

2018年現在における宮城産の海産物は、

放射性物質検査結果は、ほぼすべての検査対象において

基準値を下回っています。

(参考:宮城県内の農林水産物の放射能測定結果について)

しかし、漁業復興は一朝一夕には進まず、

震災から2年経った2013年の震災前の稼働漁船数に対する

復旧割合は約64%にとどまっていました。

そこで宮城県は、奮闘する漁業関係者をバックアップし、

宮城の水産業を復活させるため「水産特区」を導入しました。

そしてその一環として、2014年に制定されたのが

毎月第3水曜日の「みやぎ水産の日」なのです。

震災からの復興を図り、宮城の漁業の実態を正しく知ってもらい、

そして高い品質を誇る宮城の水産物をPRすることで

消費拡大を図っています。

 

なぜ毎月第3水曜になったのか?

「みやぎ水産の日」は、なぜ

毎月第3水曜に決まったのでしょう?

それは、水曜日の「すい」と第3の「さん」を掛け合わせた語呂合わせでした。

毎月第3水曜日は「みやぎ水産の日」は、

協賛する企業のロゴやポスター、

のぼりに描かれ、各種イベントにも取り入れられています。

 

毎月話題となっている「みやぎ水産の日まつり」と称した

各種イベントが、仙台駅を中心に繰り広げられています。

仙台おもてなし集団「むすび丸」

「伊達武将隊」などの姿も見られる

人気イベントとなっています。

宮城県庁舎内のレストランでの

水産の日限定メニューの提供や、

仙台市中央卸売市場内で月替わりテーマ食材のPR、

料理教室開催など様々な取り組みが行われています。

 

「みやぎ水産の日」はみやぎ漁業復興の起爆剤

もはや人気イベントとして認知されている

「みやぎ水産の日まつり」や、話題となる

期間限定でオープンする人気の

「みやぎ水産の日アンテナショップ」など、

宮城県内外で「みやぎ水産の日」効果を感じられることが

多くなってきました。

かつての日本有数の漁業権の姿を取り戻す真の復興に、

「みやぎ水産の日」は大きな力となることでしょう。

 

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